Although the concept is not new, I feel that we have increasingly been holding discourse on the idea of “community” or something “shared.” When Ai-san and I were talking about Share Houses in Japan the other day, it reminded me. It seems that we are in need of re-defining the concept, or re-discovering its meaning. Our studio topic last semester (Kersten and David) was “commune,” and the previous studio with Atelier BowWow also had community-related design project (Kamanuma in Chiba, Japan). The discussions with those who we met during the Atelier BowWow studio trip (Hayashi-san and the local people in Kamanuma, Iida-san at Loving Pork Facility, and more), the story about “Ibasho Cafe” by Kiyota-san, and a similar communal project that Ueta-san, one of my GSD friends, showed us, and so on… While pondering on these projects and stories, I went to see this exhibition titled, “Community Fantasy and Future” by ASSEMBLE, a group of 15 artists and architects based in London.
The project is wonderful. It was awarded the Turner Prize in 2015. They successfully revitalized the deteriorating Granby Streets area of Liverpool through workshop-centered renovations of the abandaned houses with the local people. Their production process is unique and artistic, which they call “speculative design.” Although the definition may vary, they define it as the area between art and design — “incorporating design as a problem-solving method while approaching art as a means of raising social issues rather than of self-expression.” This is all “art,” in my opinion. This project seems to show the inherent role of the arts, which I believe is to “connect” — connect between people, between people and objects, between people and space (whatever the type of art it is). Art becomes the source of design, which may turn into architecture and/or products.
「共同体の幻想と未来」展
先日銀座であいさんとお茶をしたときにシェアハウスについておしゃべりをしてふと思ったのですが、最近「共同」もしくは「共同体」というコンセプトがどんどん意識され、知的化されているように思います。新しく始まったことではないですが、なにかまた新鮮な感覚です。前学期のKerstenとDavidとのスタジオのトピックも「Commune」でしたし、その前のアトリエワンさんとのスタジオもコミュニティーに関係したプロジェクト(千葉県鴨川市釜沼)でしたし、そこで知り合った活動家の林さんや長老さんを含める地元の方、恋する豚研究所の飯田さんのお話、ハーバードに特別研究員として来ていらっしゃる清田さんの「居場所カフェ」のお話、そしてGSD仲間の上田さんが関わったプロジェクトのお話などなど、直接見て聞いたお話がいろいろと思い起こされました。
そんな中、一昨日「共同体の幻想と未来」展を見てきました(あいさん、教えてくれてありがとう)。「アセンブル」という15人の建築家集団が、地域住民とともに行った地域再生プロジェクトで、「芸術の社会的存在」が評価され、ターナー賞を受賞したプロジェクトです。
今は「公共性」とか「共用/共有」が自由にバーチャルな世界で成立していきますが、その「時代環境のドラスティックな変化に際して、市民的公共性の本源を今一度遡及し、再構築する」というコンセプトが、アセンブルの活動の根源になっているようです。
あと、面白いなと思ったのが、アセンブルは「デザイン」や「アート」の中間領域を「スペキュラティブデザイン」として定義して、それを「問題解決のデザインでも、自己表現としてのアートでもなく、社会構造に内在している共同体における歪みが多くの人々の営みにいかに影を落としているかを多元的に問題提起していくもの」としていることです。「スペキュラティブデザイン」の定義も様々ですが、それ自体も「アート」とひっくるめていいような気がします。私はどんなアートにせよ、(鑑賞者または共作者として)複数の人が入り込むことによって、人と人、人ともの、人と空間が繋がっていくのだと思います。私自身アーティストとして「物や事の本質、自分のうちにあるものの追求」ということをやってきましたが、アート本来の役割というのは、「つなげる」ということではないでしょうか。アートがデザインの原動力になって、それが建築になったり、プロダクトになったリ。そんなアート本来の役割がよく感じられるプロジェクトだなという感想です。